出不精日記

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カテゴリ:父のこと( 6 )

父のこと その⑥

 先日私の姪に赤ちゃんが生まれました。


 無事に生まれたことは喜ばしいことではありますが、姪にとっては3人目かつ2人目の女の子で、姪夫婦も私たちも上の2人のときにくらべると落ち着いたものであったのは、いたしかたのないことかもわかりません。


 


 父にとっては、えーと……、7人目のひ孫です。


 父は「4月に生まれる○○の子を見たい。見れるかの」といっていました。


 おめでたい中にも、そのことが残念なことでした。


 


 父は古い日記帳を残しました。


 2・3年前に古い本箱を整理したときに出てきて、父が読んでも良いと言ったので一度きょうだいで読んで私が持っていました。


 父が亡くなったときにお棺に入れて一緒に燃やそうと私が言って、いちどはみんな了解しましたが、いざ入れるときになってきょうだいたちが残したいと言いだし、置いておくことになりました。


 


 通夜から葬儀、後始末の日々の間一番上のきょうだいから順番に回し読みし、また私の手許に戻ってきました。


 


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 この日記に私が生まれた日のことが書いてあります。


 


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 一月一日と書いてあるのは旧暦です。


 私の誕生については「第四子を迎へる」たったこれだけです。


 もう少し何とか書いても良いと思うのですが、4人目ともなると珍しくもなかったのかもわかりません。


 


 


 


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by sacchyant | 2010-04-19 17:00 | 父のこと

父のこと その⑤

 風で倒れた鶴岡八幡宮の大銀杏の根から新しい芽が出ているそうですが、うちにある銀杏の木からも芽がでました。


 


 父が実(銀杏ですね)を撒いて芽を出した木ですが、小さい盆栽用の鉢に5本も植えているので、毎年春になると枯れていないか心配になります。


 


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 枯れた枝もあるようですが、5本とも新しい芽を出してほっとしました。


 


 父とはかなり親子喧嘩もしたけど、助けてももらいました。喧嘩も私の甘えからかなと今になって思います。


 


 父は楽しい人だったので、わたしもきょうだいも病院と介護施設に暇があると行っていました。


 もう少し世話をさせてほしかったな。


 


 四十九日にあたる三日に納骨をしたとき、母の骨壺とまだ私が入れる広さがあるのを確認して安心しました。


 私も入れてくれるように姪に頼んだし、いつかはわからないけどまた一緒になれます。


 姪は「また言うとるわ~」という顔で、いい加減な返事をしたけどたぶん大丈夫。


 


 


 


 


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by sacchyant | 2010-04-12 17:00 | 父のこと

父のこと その④

 高校の三者面談のときどういう話の流れだったか、父が「この子は我が強くて」と担任の先生に言ったことがありました。


 こんな素直ないい娘はないと思っていた私は「えっ?」と、父を振り返ったことがあります(笑)


 


 たしかに、10代はじめのころから親に対して突っ張っていて、ずいぶん手を焼いただろうと今になって思います。


 その後も何かにつけて、親が右と言えば反射的に左に行き、親と言えども勝手に決められるのをいやで、自分が行く道は自分で決める。親にしてみれば我が強いのでしょうねぇ。


 


 でも父は末っ子の私に一番甘かったし、一番可愛かったと密かに思っています。ほかのきょうだいには内緒。


 


 


 父は50代のころから墨絵を描いていました。


 


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 あまりうまくないし、家族以外には何の価値もありません。でもこの絵をめぐってはきょうだいで一悶着。


 


 父が描いた絵はたくさんあったはずなのに、片付け魔の長兄がほとんど処分してしまっていたのです。


 「えー!額だって叔父さんが作ってくれたのに!」と私がいうと、ほかのきょうだいから非難の嵐。


 大工だった叔父も歳をとって、こういう手仕事はもうできないのです。


 


 「貧乏人のボンボン」の父を持って普段は頼りにされている長兄は、「死ぬとは思わなかった」と苦しい言い訳。


 


 長兄が持っていると捨てるからと、残った絵はほかのきょうだいで分け合いました。


 上の写真は私が持っている絵です。


 


 


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by sacchyant | 2010-04-05 17:00 | 父のこと

父のこと その③

 父は郵便局に勤めていました。


 私が物心付いたころからずっと局員三人の小さい局で働いていて、退職するまで同じところにいました。


 局長さんともう一人の人もずっと一緒で連れて行きやすかったのか、小学生のころは夏休みなどによく行って郵便局の奥の和室で遊んだりしていました。


 祖母は体が弱かったし義母も働いていたので、いま思えば私の面倒を見る人がいなかったのでしょう。


 おかげで今でも郵便局が大好きです。


 


 わたしは中学一年のとき腎臓の病気になり、3学期の間入院していました。


 地域の基幹病院なので去年の3月に父が骨折したとき、9月に胆管炎で入院したときも同じ病院でした。


 車でだと10分あまり、 私が入院していたときは父はオートバイで、毎日病院に来てくれました。オートバイだと15分くらいかかるでしょうか。そのときわたしは当たり前のように思っていたけど、きっと寒かっただろうと思います。


 


 5年前に胆石で入院したときは、父はきっと大変だからと思ったのでしょう。毎日来なくてもいいし早く帰れと言っていたけれど、最後の入院では私たちが行くのを待っていましたし、帰ろうとすると「もう帰るのか」と言いました。


 


 父がそうしてくれたようになるべく毎日行きたかったけど、わたしはよく風邪を引くし、仕事で疲れていけないこともありました。


 


 父が死ぬ4日前に松山に行って風邪を引いて帰ってきて、病院に行けなかったのは痛恨事。


 


 1月22日に一度こん睡状態になって持ち直し、その前より状態がよくなったように見えたので、父の見舞いに帰省した姉たちと遊びに行ったのですけど、人はいつどうなるか分からないですね。


 


 


 


 父は趣味の多い人で、わたしが10代はじめのころ、尺八を吹いていました。


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 はっきり言ってしまうと下手くそでした。


 尺八なんて、どうしてこんな難しいものを始めたのやら。


 


 


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by sacchyant | 2010-03-29 17:00 | 父のこと

父のこと その②

 父は大正14年1月10日生まれ。満年齢は昭和と同じでした。


 終戦の年は20歳。


 戦争が終る少し前に徴兵され、8月6日の朝まで広島でいたことはおととしの8月6日のブログにも書きました。


http://sacchyan.iza.ne.jp/blog/entry/671095/#cmt


 


 部隊と一緒に列車で広島を離れた父は、列車から原爆のキノコ雲を見たと言っていました。広島には火薬庫か何かがあったので、そこが爆撃されたのだろうとそのときは思ったそうです。


 列車が市内を走っていたとき、陸橋の下を友達が歩いていたのを見つけて手を振ったといっていたっけ。


 その話を聞いたとき「え!それでその人はどうなったん?」と思ったけど、聞くのがはばかられました。いつか聞こうと思っていたけど、聞かずに終りました。


 


 次の列車は駅で飴のようになったといいますから、ほんの少しの違いで父は広島で死んでいたかも分かりません。


 このことでは父は運が良かったのでしょう。それは私達きょうだいにとっても、孫やひ孫達にとっても運が良かったといえるのかも。


 


 でも奥さん運は悪かった。


 22歳のときに結婚した奥さんも、再婚相手も早くに交通事故死しました。再婚相手というのは私の母ですけどね。


 で、3度目の結婚をして、その相手とは40年以上連れ添いました。


 


 あまり悪口は言いたくないですが、この義母にはみんなが振り回されました。イマモデスケド。


 一番の被害者は父だったはずですが、介護施設にいたときに父が「家に帰りたい」と言っているのに義母が拒絶するまで、義母のことを悪くは言いませんでした。


 父自身は、奥さん運が悪かったとは思っていなかったのかな?


 亡くなる数日前に姉が「3人の中でだれが一番良かった?」と聞いたら、「みんなそれぞれに良かった」と、気配りの父らしい答えが返ってきました。


 


 父がもう少し元気だっとき、「お父さん、お義母さんの御守りはお父さんにしか出来ないんだから、長生きしてくれないと困るよ」といったら、「そうじゃの」と言ったのに、先に逝ってしまいました。


 


 


 仕方のないことだけど、お義母さんもわたしたちも困っているよ、おとうさん。


 


 


  


 


 


 


 父が使っていた煎茶用の急須です。


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 これでその①の煎茶茶碗にお茶を入れていました。


 


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 蓋にひびが入っているのは、わたしが落として割ったからです。


 膠を買ってきて継ぎましたが、私、あの時父にちゃんとあやまったかな。


 


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by sacchyant | 2010-03-22 17:00 | 父のこと

父のこと その①

 ちょうど一ヶ月前の2月15日に私の父が他界しました。86歳でした。


 ここで言うべきことなのかどうかと考えましたが、父が入院したり介護施設に入ったりしていたことはブログに書いていたので、やはりご報告しておこうと思います。


 


 たまさんもお父さまを今年亡くされて、思い出をブログに書いていらっしゃっいました。


http://ta-ma.iza.ne.jp/blog/folder/172555/


 


 ちょっと見るのがつらい写真もありますが、たまさんの思いが伝わってくるエントリでした。そのエントリを読んでいる途中でうちの父も亡くなったわけですが、わたしもちょっと父について書いておこうと思います。


 そしてたまさんにならってコメント欄は閉じさせていただきたいと思います。


 


 父は一言で言えば「貧乏人のぼんぼん」でした。


 宮本輝さんの自伝的小説のどの本だったか忘れましたが、主人公を父親がこう呼んでいるのを読んで「うちのオトウサンのことや!」と、思ったものです。


 


 兄に当る人が4歳で病死したあと生れたので、両親にとても大切に育てられ、子供のころは「だれも持っていないようなお菓子を、〇〇ちゃんは持っとる」と言われていたのは語り草になっています。


 


 人が良くて優しい人でした。でも「優しさと かいしょのなさは♪」なんて歌の文句もあります。父には困ったもんだと、身内のものが思うこともたびたびありました。


 でも葬儀のときに家族とごく近い親戚だけの密葬で送ることにしていましたのに、何人かの方が「お父さんにはお世話になったので、ぜひお別れしたい」とおっしゃって来てくださったのは、子としてとてもうれしいことでした。


 


  


  これから何回か、父の思い出の品をアップしようと思います。


 


 これは私が生前父からもらいました。事後承諾でしたけど。 


 お猪口ではなくて、煎茶茶碗です。 


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 これを見ると日当たりのいい縁側で、私達や訪ねてきた叔父達にお茶を入れてくれたのを思い出します。


 


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by sacchyant | 2010-03-15 17:00 | 父のこと