出不精日記

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カテゴリ:曽野綾子さんの本( 3 )

老い楽(おいらく)対談 上坂冬子・曽野綾子著

 きょうは上坂冬子さんと曽野綾子さんの対談を読みました。


 上坂さんは1930年生まれ、曽野さんは1931年生まれ。後期高齢者となられたお二人の対談です。


 


 アンチエイジングという言葉をよく見聞きするようになりました。


 老けて見られるよりは若く見られるほうがそりゃうれしいけど、この言葉を目にするたびに、年をとるのはそんなに悪いことかと、ふつふつと反発する気持ちが湧いてくるのです。


 


 上坂さんは、癌を患いながらそれを受け止め、しかも入院中に本を一冊書き上げ、曽野さんは足の骨を折りながらスケジュールを変えず、杖を突きながら外国にも出かける。そんなまねはできそうにないですが、迫ってきた死を見つめつつ老いを楽しむという姿勢は見習いたい。


 ま、もう少し先のことですけど。いやもう目の前か!


 


 


老い楽(おいらく)対談 上坂冬子・曽野綾子著 海竜社


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by sacchyant | 2009-03-27 22:25 | 曽野綾子さんの本 | Comments(8)

「平和とは非凡な幸運 曽野綾子著」と「やばいぞ日本 再生への処方箋」

 産経新聞に「やばいぞ日本 第5部 再生への処方箋」が連載中で、6日は住友化学がアフリカのマラリア防止のため開発した防虫蚊帳の話でした。

 マラリアはエイズと結核と並ぶ世界三大感染症で、年間3億人が発症し100万人が死亡、アフリカでは子供の死因の1位だそうです。



「やばいぞ日本」から

 貧困がマラリアの流行を促す環境を生み出し、マラリアがさらに貧困の悪化に拍車をかける。





 けれど防虫蚊帳によって負の循環が変わっているということです。



 最近曽野綾子さんの「平和とは非凡な幸運」を読みました。産経に「透明な歳月の光」の表題で2004年8月13日から2007年4月30日の間に連載されたものが本になったのです。



 本の中に「アフリカに売る蚊帳 日本と同じように使いこなせるか」という文章があります。日付がないのですが、おそらく2005年に住友化学が防虫蚊帳を開発しているという新聞記事を読んで書かれたものです。



「平和とは非凡な幸運」から

 それにこの蚊帳はどれくらいのサイズのものが、いくらで買えるのか。ただだとすると、皆に平等に配るのはむずかしいだろう。早々と、もらった蚊帳を売ってしまう人も出るだろう。アフリカの生活では、食べるものがあること、病気になったとき薬代が払えること、などが優先し、蚊に喰われないことは後回しになりそうだ。あの原始的な生活では蚊帳を使いこなすのは、町方のやや恵まれた人たちだけではないか、と余計な心配をしてしまう。





 この本に限らず曽野綾子さんが伝えるアフリカの貧困は想像を絶するものがあります。新聞に載っていた蚊帳の中の母子の写真は、おそらくアフリカの貧困家庭ではないだろうと思います。

 だからといって住友化学がしている事業が無駄だということではないですが、実際に使っている人たちはどういう人たちでどう使われているのか、そこのところも知りたいです。





平和とは非凡な幸運 曽野綾子著・講談社



 




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by sacchyant | 2007-12-07 23:39 | 曽野綾子さんの本 | Comments(0)

貧困の光景 曽野綾子著

貧困の光景 曽野綾子著・新潮社





 マダガスカルでは1日百二十円のお金がないために、未熟児の赤ちゃんが保育器に入れられず死んでいる。

 では1千円で8日、二千円で半月以上保育器に未熟児が入れられ、一人の命が救われるかもしれないと、曽野さんの友人知人がお金を出してくれ、海外邦人宣教者活動援助後援会
(JOMAS)という組織が作られました。

 しかし途上国では必要とされている人にお金が届かず、途中で誰かのポケットに入れられるため、海外で働く日本人の神父か修道女にお金を預けて彼らの監視のもとに使ってもらう。しかも確実に使われているのを確かめるために曽野さんが査察に赴く。この本はそうして曽野さんが見聞きした日本では想像もできない貧困の光景をつづっています。


 道が悪くて車で走ると身の危険を感じるアフリカの奥地で、カーストの厳しいインドで、あるいは貧富の差が激しい南米で、電気も水道もなく日本に住んでいれば当然享受できる豊かさとは無縁の土地で働いている人がいます。読んでいると砂漠でジョウロで水をまき芽が出るのを待っているような気がしました。


 なぜ自ら不自由な環境の中に身をおきながら、そこで働く人たちは気の遠くなるような仕事ができるのか。

 曽野さんは二人のイタリア人神父を紹介しています。二人は35年前にイタリアの神学校でボリビアの神学生と知り合い、ボリビアを良くするために働いてくれないかと頼まれてボリビアにやってきて、結局神学者になることは諦めたのでした。そこには今救わねば人命が失われるほどの緊急な貧困があったからです。


 しかし二人はマスコミの脚光を浴びたことはありません。貧困には劇的な貧困と慢性的な貧困があって、劇的な貧困はマスコミに注目され援助もされやすい。

 救援の世界において洋服のファッションを追うように流行を追うグループもあるとか。

 しかし慢性的な貧困は援助の対象として目立たないので困難な状況は長く続いてしまいます。


 読んでいて暗澹とした気分になる本ですが、それでもアフリカの状況は少しでもよくなっているらしいのはほっとします。


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by sacchyant | 2007-04-11 22:37 | 曽野綾子さんの本 | Comments(0)