金丸座の続きです。
さてなぜ「旧金毘羅大芝居」といい、なぜ別名「金丸座」なのか。
金丸座で案内していただいた方の説明の聞き覚えなので、間違って覚えているかもわかりませんが、江戸時代の江戸の芝居小屋は「中村座」とか「〇〇座」という名前でしたが、大阪は「〇〇芝居」といっていたようです。
金丸座は大阪の「大西座」を模して造られ、明治になってからの持ち主が「金丸さん」だったからだそうです。
かけすじです。
2階席から写しました。
下の席から見ると、二人の黒子が跪いて動かしているように見えましたが、先々週のEテレの「にっぽんの芸能」で、猿之助さんのインタビューがあり宙乗りも映ったのですが、中腰で動かしていました(^^ゞ
パンフレットによると、幅が約65センチ、長さが約17メートルだそうです。
竹で格子状に編んでいるのはブドウ棚で、花吹雪を散らせたりします。
舞台の裏にある楽屋です。
猿之助さんだけがこの舞台裏の楽屋を使ったそうです。
この部屋だったかどうかは、わかりません。
テレビに映っていた部屋はちょっと雰囲気が違っていました。
ほかの役者さんたちは、金丸座の隣に作られた建物を楽屋にしていました。
これは金丸座の楽屋からの出入り口です。
こんな感じで隣の建物とつながっています。
公演中は外から見えないようになっています。
この日は、観客との仕切りを壊しているようでした。
私がギモンに思っていたことというのは、金丸座の楽屋を使っているかどうかと、金丸座にはお風呂もあるのですが、お風呂も使っているかどうかということでした。
楽屋は使っていたのですが、お風呂は隣の新しい建物のほうを使っているそうです。
実は公演中に金丸座の裏に洗濯物が干してあることがあるので、お風呂も使っているのかなと思っていたんです。
2階の大部屋。
これも2階にある女形の楽屋です。
大部屋を真ん中に両側に小さい楽屋がついています。
上の写真では、壁の上のほうがあいていますが、この女形の楽屋のほうは上まで壁があります。
10年以上も前に来た時の説明では、大部屋からのぞかれたりしないようにと言っていたと思うのですが、ほんとうかな(^_^;)
続きます。
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さようならグッドバイ |
at 2020-02-29 17:38 |
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