「明石山系に登ってきました!その① 別子銅山」から続く。
ダイヤモンド水からさらに足谷川に沿って登ります。
人工的な石積みの跡が見えますね。
さらに登っていくと歓喜坑があります。
歓喜坑は別子銅山最初の坑道で、高品質の鉱床が発見されて歓喜に沸いたことから命名されたそうです。
歓喜坑
歓喜坑の中
歓東坑
歓喜坑の説明版(読みにくいので下に書きました)
別子本舗(標高1,210m)
本舗とは一山の主たる生産坑のことである。元禄4年5月9日幕府の稼業許可を得て、泉屋は直ちに開坑の準備に取り掛かった。その時点で、この谷間を利用して、掘り出した鉱石から銅を摘り出すまでの工程を組み込むために、ここに中心となる坑道を開けることにした。前年の秋に初めて調査にやってきた泉屋の番頭田向重右衛門が下した決断であった。かくして別子山中に最初に開いた口坑がこの歓喜間符と歓東間符である。重右衛門が考えた通り、以来明治になって東延斜坑が主たる生産坑になるまで凡そ200年間、ここが本舗であり続けた。背後の平坦地には鋪方役所があって、負夫によって運び出された鉱石は重さを量って買い取り、砕女小屋へと運ばれた。
上方一帯、ヒノキの木立の中には、山方と呼ばれる坑夫の住宅が並んでいた。
※現在も稼業許可の日に大山積神社(新居浜市角野新田町)にて、在浜住友連系各社による例大祭が斎行されている。
歓喜
坑に咲いていたスミレとイタドリの芽。
「明石山系に登りました!その③ 別子銅山・蘭塔場」に続きます。